過去記事からの派生。
今朝のJ-WAVE ACROSS THE SKY、WORLD CONNECTIONの特集が面白かった。確か一昨日くらいのJ-WAVEのCMで存在を知って、ちょうどゲストの方の著書である『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』をちょっと前に見かけていた(けど読んではいなかった)ので、興味が湧いて聴いてみた。著書の副題にある「アート」と「サイエンス」、そして「クラフト」に関する話。
番組に来ていたゲスト・山口周さんが語っていたのが、アートとサイエンスとクラフトという3つのタイプについて。物事の判断におけるそれぞれの枕詞として、
- アート型の人は「私の直感によれば〜」
- サイエンス型の人は「データの結果によれば〜」
- クラフト型の人は「私の経験によれば〜」
という拠り所が述べられていて、それぞれのタイプを端的に表していてなるほどなと思った。前に見かけていた著書はあとで読んでみたい。
ちょうど思いあたったのが、最近読んでいる本で『The Art of ...』というタイトルのものが2冊あって、これこそが番組で語られていた「自分の感覚を言葉にする」ということなのではないか、ということ。
一冊は『習得への情熱―チェスから武術へ―:上達するための、僕の意識的学習法』というもので、原題を "The Art of Learning" というもの。この本は以前の記事で書いていたGuilty Gearシリーズの蔵土縁紗夢にあこがれて買った。まだパラパラとしか読めていないのだけれど、とくに武術という身体的感覚の占める割合が大きい分野、逆に言えば言葉では感覚を捉えづらい領域において、なおこうして表出された言葉に触れることは純粋に興味深いと感じる。武術に限らず、ゲームにも言葉にしにくい概念というものがある。
直感、と言うほうがいいのかもしれない。勝利オブジェクトに通ずる道がふたつあるとき、相手が通ると思われる道を選んで、足止めのためのグレネードを置く。べつの道ではなくその道に置く理由は、試合中に感じられる相手方の行動の総体――動物的本能と言える何か――の観察結果から瞬時に決定される。意外に思われるかもしれないが、経験の積み重ねや、相手チームの分析などからではないのだ。そのような要素が力を発揮するのはもう一段低い段階であって、各国のもっとも優れた選手たちが出場する世界戦においては、この可塑性こそが場を支配する。
これは、ほとんど禅のような概念だ。形はなく、言葉にするのは難しい。このゲームにおけるチームは、いわば単細胞生物のようなシステムである。この生物は非常に単純に見えるものの、じつは複雑な生存のための機構を備えている。それは環境に適応する能力であり、外敵から身を守る能力であり、つねに自己を更新しながら流れゆく時間のなかに留まり続ける能力である。
――藤田祥平『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ (早川書房)』
僕はここで描かれているようなトッププレイヤーの足元にも及ばないけれど、それでも昨今のTPS、スプラトゥーン2を遊んでいた頃、こうした "なんとなくの直感" に基づいて自然と体が動く場面があったように思う。
おりしもスプラトゥーン2ではリバイバルフェスが開幕していたから、この感覚を取り戻そうと、久しぶりにフェスに参加すべくホリパッドを取り出してみたら、左スティックの調子が知らないうちに悪くなっていた。スティックの上入力が完全に入り切らずに途中で止まってしまい、かつてプロコンが壊れた(それゆえこのホリパッドに買い換えた)ときと同じ症状に見舞われた。ローラーにとってのスティック上入力は移動にとって死活問題だったから、フェスへの参戦はやむなく諦める運びとなった……というのは少し余談。
もう一冊は『リーダブルコード ―より良いコードを書くためのシンプルで実践的なテクニック』で、こちらは原題を"The Art of Readable Code"という。以前の記事にあるHajime Morita (@omo2009) さんにあこがれてレガシーコード改善ガイドを読み始めたはいいものの、今の自分のとってこの本は難しすぎたので、まずはやさしいところから再読している。ちょうどResearchat.fmでこの本が紹介されていたこともあって、6年くらい前に買っていた本を本棚から取り出してきた。コードの声を聞けるようになりたいと6年前にも思っていたらしい。
番組でリーダブルコードを引き合いに出して説明されていたのが、理解しやすいプラスミド命名について。僕はShow notesにあるこの記事をピラミッドに空目していて、同じくShow notesですぐ下に地球平面協会のウェブサイトがあったから、そっち系の話題なのかなと思ったらまちがいだった(そして思わずお返事ももらった😊)。
もし、ピラミッドの命名則などが分かっているのであれば勉強してみたいです!笑
— Researchat/研究雑談Podcast🧐🔬🦠🎙 (@researchat_fm) May 11, 2020
命名則もそうだけど、番組で紹介されていたデータ管理手法がとても参考になった。作ったスクリプト類やドキュメントについては、保存はしていても整理は全くできていなくて、改めたいと思いつつすでに幾年が過ぎた。パーソナリティの方々の議論を聴いていて、もう少し抽象化したところとして、
- 事実(=生データ)と解釈(=ドキュメント)、およびそのあいだに生じる中間データの分離
- スクリプトから自動生成されるものと、人間がプロトコルをもって立ち向かうことで生成されるものの分離
- 思想の凍結*1(=自作・他作ですでに形となったもの)と流動(=現在進行系で形作っているもの)の分離
あたりがキーになるのかな、という感触を得ている。いずれにせよ、みんながどうやって管理しているかはまさに聴いてみたいところだったので*2、興味深く聴いた。
研究活動における解析について、なにがしかの一般化された規約として僕がお返しできる知見はそんなにないけれども、たとえば『ワンストップアプリ開発』*3への寄稿記事で引用した『ソフトウェア開発実践』の姉妹書にあたる『ソフトウェア開発入門』では、ソースコードのディレクトリ構成や実装規約の話題をカバーしていた数少ない書籍だったと記憶している。
話をもとに戻すと、冒頭の「アート」「サイエンス」「クラフト」はどれかひとつだけあれば良いというものではなく、3つとも大事なものだということ。個人的には普段サイエンスに触れる場面が多いけれども、しかし実際に手を動かしてものを作り・かつ美意識を意識していくことが、巡り巡ってサイエンスの成果にも繋がってくるはず、と願っている。では具体的に何をやっていくかというと、それは今後の課題です。■