雛形書庫

An Unmoving Arch-Archive

Well-Beingな(第七官界彷徨的執筆|ブログ的思考形態)

以下の過去記事からの派生。

tl.hateblo.jp

 

tl.hateblo.jp

 

先日の記事で取り上げた『INNOVATION WORLD ERA』の最新エピソード、アジカン・後藤×予防医学研究者・石川善樹が対談!がとても面白かった。

spinear.com

 

番組ではWell-DoingとWell-Beingの違いについて述べられていて、いわくWell-Doingとは目的を持って何かをうまくやっていくこと、それに対してWell-Beingとは「目的もないし、役割や責任もない状態 (21:45)」であると。

この状態はとても興味深いもので、最近書いている一連の記事はまさにWell-Being的であると感じている。その無目的さゆえに余計な肩の力が入ることなく、自分の思考を前に進めるために書くことができている。関連するテーマをオーバーラップさせながらも、ちょっとずつずらしながら前に進んでいく、というこのスタイルはどこかで見た気がしていて、それは以前に読んでいた『第七官界彷徨』に近いものだとふと思い出した。遡ることもう5年前の話になるけれども、この本の感想記事をブログに書いていて、当時は以下のように記していた。

小説、章という概念がなくて、だらだらと進んでいくというと言い方悪いけど、それでもAの話をしている最中にBがさりげなく出てきて、次の場面ではBが話題になるなかでCがさりげなく登場して、次はCが…という感じで延々と続いていく。この技法もしくは構造は巧いと思う。

 

ここ最近の記事において、Aにかんする話でBの話題を出し、Bの話をする中でCの話題にも触れる…というのは、半分は意識的に、しかしもう半分は自然な発想のうちに生まれたつながりとして書いている。このやり方が合う合わないは人それぞれだろうけど、僕個人にとってはすごく合っているのだと思う。そしてそれは時として、最終的なゴールを意識せずに書き進められるWell-Beingな執筆となる。

 

ところで以前の記事で挙げていた*1デジタルの作業日誌を何で取るか問題について、ここで引用していたHajime Morita (@omo2009) さんの記事*2ブログ的な思考形態というキーワードが出てくるけれど、こうしたWell-Beingな執筆によって思考を前に進めるあり方がブログ的思考なのかな、と個人的には思う。思考の "歩幅" が大体1000から2000字くらい、日々の反復を繰り返すなかで漸増的に進んでいくこと、そして言葉に基づいた思考。Hajime Moritaさんの書く文章は控え目に言ってとても好きなので、先に述べたブログ記事やWEB+DBの過去記事を通して文章を楽しみつつ、書き手の思考に触れている。WEB+DBのWebKitの話は正直わからないから雰囲気だけを味わい、しかしWEB+DB PRESS 総集編 [Vol.1~60]にある寄稿、「わたしは自分のコードにうたえと命じた」は今でも折りに触れて読み返している。 

 

寄稿のテーマはソフトウェアの高速化チューニングについて。僕もかつては自分の書いたコードをチューニングしていた時期があって、いちおう見よう見まねでそれなりに高速化はできて、それはそれで貴重な経験だったのだけれど、しかし餅は餅屋というか、ベンダーのエンジニアが手を入れたコードにはやっぱり敵わないなという印象を当時は持っていた。チューニングとは職人技であり、けれどこの寄稿を読み・著者の思考に触れていると、そうした職人技(と著者の文章)に憧れている自分がいることに気づく。最近はコードの声を聞かなくなって本当に久しいけれど、しかしここにきて今一度声を聞けるよう、そしてうたえとふたたび命じられるよう、ソフトウェアと対話をしていきたいな、と思う。■