雛形書庫

An Unmoving Arch-Archive

Choice of Crucial Controll(er)

過去記事からの派生:

tl.hateblo.jp

 

格闘ゲームをやるときのコントローラー問題、そして研究におけるコントロールの重要性について。

 

以前の記事で述べたGUILTY GEAR -STRIVE-の第一報が出たのが去年の夏だったと記憶していて、それに触発される形でアーケードコントローラーを買い替えていた。Nintendo Switchで使えて、PCにも対応したもの。

 

PS4用のコントローラーにしなかった理由は2つあって、ひとつはPS4のゲームのほとんどはPCでもプレイできるので、PC対応のアーケードコントローラーがあれば困らないであろうと思ったこと、そしてもうひとつがGuilty Gearシリーズの移植状況を見るに、次回作はSwitchでも発売されるだろう、と見込んだことであった。実際のところは、現時点*1での公式発表によれば対応プラットフォームはPlayStation4のみ、しかも先月のクローズドβテストはPCではなくPS4での開催と、僕の読みは外れ続けている。

 

PS4用のアーケードコントローラーを準備するかどうか、という問題は、そもそも格闘ゲームを今後やっていくうえで、 アーケードコントローラーが本当に必要なのか、という問いに緩やかに帰着している。アーケードコントローラーはいわゆるゲームパッドとは異なり、重くてかさばるし、しかも操作時の音が結構やかましいので、使うときには決して少なくない気合いと気遣いが必要になってしまう。ちょうどResearchat.fmでアーケードコントローラーからゲームパッドに乗り換えたプロゲーマーの話題が出ていて、僕はここで語られていた人の一次情報まで辿ることができなかったけれど、番組内で語られていた「ゲームをやる時間をいかに作るか、みたいな勝負になっている」というのは多かれ少なかれ、僕自身もそういうフェーズに移りつつあると感じている。

researchat.fm

 

投下するリソースとそこから得られるリターンを長い目で見て判断すれば、このあたりでアーケードコントローラーをやめ、ゲームパッドへと移行するのが道理なように思う。ゲームセンターには久しく訪れていなかったから知らなかったけれど、最近の筐体はUSBコントローラーにも対応している*2こともわかった。であれば、もはやアーケードコントローラーを選ぶ決定的な理由もなくなり、単に慣れの問題になりそうだ。その一方で、アーケードコントローラーが持っている身体的感覚も捨てがたく、かつPS4用のゲームパッドでいい感じのものを見つけられていないというところもあり、もうしばらく検討が必要そう。

 

ところで研究がらみで何かコントローラー的な話題があったような…ということをふと思い出して調べてみたら、以前に読んでいた『なぜあなたの研究は進まないのか?』という本にコントロールの重要性のお話があった。

なぜあなたの研究は進まないのか?

なぜあなたの研究は進まないのか?

  • 作者:佐藤 雅昭
  • 発売日: 2016/07/08
  • メディア: 単行本
 

 

コントローラーではなくコントロール、それは本書いわく「比較対照あるいは比較する基準のこと」であり、そして「研究におけるコントロールの重要性は、強調してもしすぎることはない」とまで述べられている。その具体的な内容は書籍に譲るとして、コントロールと併せて述べられているパイロットスタディのデザインについては、そうだよねと同意するところが多い。とくにシミュレーションでは数字ひとつでパラメータを振れることもあって、ともすれば実験以上にパラメータを動かしがちなように思う。良かれと思ってあれもこれもと変えてしまうと、しかしそれはたいてい悪手になることが多い、というのは個人的な経験としてある。理詰めで考え・一歩ずつ前に進むためには、本書で指摘されているとおり「基準となるものと、『動かす』ものを区別」するスタンスが必要だろう。シミュレーションで言うならば、入力となるパラメータで動かすものをひとつに限定するということ。

その上で、物事を考えるときの考え方を知っているのが良いのかな、と思う。物事を考えるときの考え方、というメタ的な話について僕が書ける知見はそうないけれど、ウェイソン選択課題生存者バイアスは(とくに前者は)研究においても知っておいて役立った、という実感がある。

 

長い目で見てという観点は、とくにここ数ヶ月の環境の変化もあって、最近ではより良く意識されていたように思う。そうした中で何冊か本を読んでいて、それらは直近ですぐ役立つというよりかは、少し引いた位置から将来を考えるのを助けてくれるようなものを選んでいた。上で挙げた本もそうしたもののたぐいであって、もっと早く気付いて大型連休にでも読んでおけばよかった。しかし時間は十分に取れなくとも、やりたいことを突き詰めている人たちがいるのはゲームでも研究でも同じこと。隙間時間を見つけてもう一度読み直しておきたい。■