雛形書庫

An Unmoving Arch-Archive

本読み: 読む・打つ・書く

以前の記事 1 で書いた繰り返したいリストには挙げていなかったけど、本書もまた読み直そうと思っていた本のひとつだった。1年前に読んで何か書いていた:

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ザトーからはおめでとうとお祝いされて、しかし「論文読みに戻ります」と宣言したわりには最近の様子を見ているとどうも戻っていないなと感じる。 まあ研究から離れた生活にもそれなりに発見はあるもので、たとえば先日の振り返り記事 2 で書いた論文の読み方の違いというのが、すなわち本書で触れられている "本を学ぶ" と "本で学ぶ" の違いの相似形であることに気付いた。

しかし、さらにもう一歩進んで、なぜこの本が書かれなければならなかったのかという別の問いかけがあり得る。(中略)その動機や背景はある学問分野の時代的な "景色" を見渡すことにより初めて理解できるだろう。つまり、その本に書かれている内容を踏まえた上で、さらにその奥まで読み込むこの第二段階は "本で学ぶ" と言い表せるだろう。(p.30-31)

先日の資料では研究の「流れ」と表現されていたものが、ここでは "景色" として立ち上がってくる。 眺めの細部に立ち入ることは当然ながら俯瞰的な視点との引き換えであり、細部が重要であることは論をまたないが、ときには "景色" を知ることが大事になることもある。 前述の振り返り記事でも触れた参考書の中の一冊はここがうまくて、その本で取り扱う範囲と章立てをロードマップで示してくれていたおかげで、”景色” が見えやすい作りになっていた。 なかなかこうした図はお目にかかれないなと個人的には思う。

John David Anderson, "Computational Fluid Dynamics: The Basics With Applications," McGraw-Hill Inc. (1995), FIG. 1.31 (p.31).

ある研究分野に入ったばかりの初学者にとっては、デジタル・アーカイヴのかぎりなく広大な探索空間を検索キーワードだけを手がかりにあてもなく彷徨うのは得策ではなく、むしろ有害でさえある。(p.38)」 ここに初学書なりパッケージ化された情報の価値がある。 これは言い換えれば景色を知ることの大事さを説くものでもあり、そこには山登りのメタファーがある(引用はしないけれども、p.161の書評例には登攀ガイドがみられる)。 ところで本噺前口上の p.ii には実際に "本の山" に登った幼少期の体験が書かれていて、もしこれが身体感覚を伴った比喩であるならば興味深い。

第2楽章で書かれている書評の書き方については、以前に読んだときにはそんなに気に留めていなかったので過去記事では触れなかった。 しかし今回の再読ではここが面白いなと感じていて、たとえ短い分量であっても "フック" を使って効果的に書く実例は参考になった。 第2楽章の2-3-3節までで1881字、3503字、381字、1477字と様々な分量の書評例が示されていて、特に381字のものは今の自分の物書き感に合っているのでありがたい。 ちなみに2-3-4節では10730字の大長編が登場していて、これはいつか(いつ?)の目標としてとっておくことにする。

かくして研究活動における微分的なモーメンタムは失われてしまったのだけど、第3楽章での「書く」ことについての記述には救われる部分があった:

論文と本では流れる時間が異なっているので、論文を書くときの「微分主義」的な研究者スタンスとともに、本を書くときの「積分主義」的な研究者人生観が生まれてくるだろう。微分積分はどちらも必要だ。(p.234)

夏に書いていた文字 3 とは本でもなければ論文でもないものではあったけど、それでも振り返ってみれば積分的な要素を持った研究ポートフォリオ的なものが書けたのだと思う。 書いている最中には1ミリも研究成果にもならない文字列を恨めしくも思ったものだったが、これに取り組むことで自分は結局のところ何が得意で、何を文章として書くことができるのかを振り返る良い機会にはなった。

(中略)しかしホンネを言えば、確かに圃場作業はいい経験にはなったが、私個人に向いている仕事とはいえなかった。あるとき大澤さんに「ミナカさん、圃場のまんなかで "自分はここで何をやっているんだろう" とか考えてませんでしたか?」と図星の指摘をされたことがあった。後に鵜飼室長と大澤さんが研究室からいなくなったあと、ほどなく私が圃場を使った試験研究からすっかり足を洗ったのは当然の成り行きだった。(p85)

これは楽章の合間にあるインターリュードからの引用だけど、この幕間の内容はとにかく研究者としての学びが多い。 引用したい箇所はいくらでも見つかるけれども、「研究者が自分の手の内をいつも外に全部見せるのはスジの悪い生き方だ。(p.228)」 ということで続きはまた次回、1年後にもしあれば…