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Regulation Justification by Simulation

シミュレーションによるF1の空力研究を追いかけます。

Original Paper

Disclaimer

内容の正確性には可能な限り留意しておりますが、必ずしも正確性を保証するものではありません。 内容に基づく一切の結果について、一切の責任を負いかねます。 予めご了承ください。

はじめに:この論文について

Researchat.fmエピソード93を聴いていてF1に興味を持ったので、関連する論文を検索してみたらはじめに見つかった。 最近の論文であったこと、それに実際に眺めてみると前回読んだサイクリストの論文1に通じるところがいくつかあったので、そのまま興味深く読んだ。

論文のタイトルにある "Wake" とは日本語にすると「後流」であって、F1カーが通過した後の流れ(=後流)が追走車に及ぼす空力的な影響を研究したもの。 Formula1において2022年に予定されているレギュレーション改定が、空力的な観点からみて妥当なものであるかどうかを議論している。 著者の所属はカタルーニャ工科大学、巻末にあるFundingとConflicts of Interestの項目を見るに、純粋にアカデミックな研究として行われた様子。

上で触れたレギュレーション改定について、F1には詳しくないので少し調べてみたところ、Formula1-Dataで見つけた解説記事がすごく参考になった:

後方乱気流の大幅抑制

バトル促進のために最も重視されたのは、前走車がいる場合に受けるダウンフォースの損失を最小限に抑えるための解決策を見つけることだった。前にクルマがいる状態で走行すると、いわゆる”ダーティーエア”の影響を受ける事となり、マシンが期待通りの空気を浴びることが出来ず、空力効果に大きな悪影響が出てしまう。

具体策として、後方乱気流を生み出す複雑なボディーワークが禁止され、アンダーフロアで生成されるダウンフォース量を増やす方向のデザインが導入される事となった。いわゆるグランドエフェクト効果を増強する方向性だ。なお、取り敢えず2022年に関してはDRSが継続される。

2019年型マシンの場合、ダーティーエアによって失われるダウンフォース量は40%以上に上ると試算されているが、2022年型マシンの場合、この割合は5~10%の範囲内に収まると見積もられている。新しいデザインのマシンは後方にクリーンな空気を流すため、後続車への影響が大幅に減少。オーバーテイクチャンスの増加が期待される。

――2022年以降のF1レギュレーション、何がどう変わる?抑えておきたい主要変更点のまとめ | Formula1-Data

この論文でシミュレーション対象とするのは(詳しくは後述するが)2017年型マシンであって、上の記述に基づけば、この旧型は後方乱気流を抑制しない状態、すなわち後方乱気流を生み出して、追走車の空力効果に大きな悪影響を与えるということになる2

では実際にそうなのか、2台の車の位置関係を変えたシミュレーションで空力を確かめましょう(そして今回のレギュレーション改定が妥当なものかを議論しましょう)、というのがこの論文の趣旨である。

事前準備

計算に使われたF1モデルの図がFigure 2にある。 国際自動車連盟 (Fédération Internationale de l'Automobile: FIA) による2017年のレギュレーションに則って設計されたもの。 このモデルでは車体形状のディテールまで再現されていて、winglet, vanes, vortex generators, and slotといった細かい部品まで含まれている(が、筆者はF1に明るくないため、どの名称がどのパーツを指しているのかがわからなかった)。

車体長5.350 m(うち、ホイールベースは3.745 m)に対して、最小部品の厚みは1.5 mmになっている。 実車ではイメージが沸かない、という方は、全長15 cmのミニ四駆に0.045 mm厚のパーツが付いていると思えば、このモデルがどれだけ細かいつくりになっているかがわかるかと思う。

前回読んだサイクリストの論文(脚注1)で、「格子生成技術の改良」という話題が3.3節の冒頭にあったけれど、この格子とはFigure 4と5に見られるもの。 もちろんF1モデルは3次元形状なので、格子も3次元的に存在していて、ここでは格子の断面図を示している。 格子が密になっているところが計算リソースを投下する、すなわち流れを詳細に見たい場所であって、Figure 4では車体とその後方、Figure 5では2台の車体とその間で格子を密にすることで、車体の後流を捉え・その空力的な影響を明らかにしようとしている。

また、サイクリストの論文(脚注1)では以下のような記述があった。ここがいわんとするところはひとたび格子に依存しない解が得られたならば、そこではじめて解の妥当性を評価しうる状態になるということ:

Typically, the accuracy of numerical simulations, once they are shown to be independent of mesh and time step, is assessed by comparison with detailed experimental results including flow field data.

――Crouch, T. N., Burton, D., LaBry, Z. A., & Blair, K. B. (2017). Riding against the wind: a review of competition cycling aerodynamics. Sports Engineering, 20(2), 81-110. DOI:10.1007/s12283-017-0234-1

この論文では、格子に依存しない解が得られているかどうかをTable 1でチェックしている。 3通りの異なる格子で試してみて、SCLの値がそんなに変わりませんね、つまり今回のシミュレーション設定は妥当ですよ、ということをいっている。 この作業を経たうえで、改めて他者の結果 (Perrin [23]) と比較することで (Table 3)、今回のシミュレーションで得られた解の妥当性を示している。

シミュレーション結果と議論

シミュレーションは大きく分けて以下の2パターンで行われているので、それぞれについて見ていくことにする。

  • 1台だけが(自由な流れの中に)存在するケース (Figure 4)
  • 2台が縦に並んで存在し、その距離が指定の大きさだけ離れているケース (Figure 5)

1台だけのケース

前回読んだサイクリストの論文(脚注1)では、サイクリストに加わる空気抵抗の内訳がTable 2に示されていた。 シミュレーションの強みはコンポーネント毎の空気抵抗を調べることができる点にあって、この論文でも同様にFigure 8とTable 4を用いて、どのパーツがダウンフォースを稼いでいるのかが示されている。

Table 4によれば、ダウンフォースを最も稼いでいるのはUnderbodyで、次いでRear Wing、そしてFront Wingが続く。 したがって、これらのパーツが想定した空力性能を発揮することがF1カーの走行にとって大事になってくる。

一方でTable 4の抵抗のほうを見ると、Rear Tires、Rear Wing、Underbodyあたりで寄与が大きい。 Rear Wing、Underbodyはダウンフォースの発生源なので致し方ないとして、Rear Tiresはなんとかならないだろうか。 サイクリストの論文(脚注1)のTable 1にあるとおり、タイヤのような丸い形状は流線形に比べてCD値が高いため、空気抵抗の面で不利なのは致し方ない。 これを解決するためにはタイヤを何かしらの流線形のパーツで覆うことだけど、それは車体のレギュレーションや、パーツによる重量増のペナルティとの相談になるのだろう。

空気の流れが車体を通り抜けていくときに、どのような振る舞いを示すかはFigure 11に見ることができる。 定性的にではあるものの、車体後方の流れが渦を巻いて複雑な流れになっている様子を確認することができる。 本来は見えない空間の流れを可視化できること、これもサイクリストの論文(脚注1)で指摘されていたシミュレーションの利点のひとつといえる。

2台が縦に並んで走行するケース

Figure 24に2台の車両が距離を変えて走行する様子の図があるけれど、このように後続車が先行車の後流に入ることで、後続車のダウンフォースは大きく減ってしまう。 その様子はFigure 16のグラフ、もしくは各コンポーネント毎にFigure 23のグラフにそれぞれ示されていて、特にFigure 16からは、車両間の距離が1L以下になったときの顕著なダウンフォースの低下が見て取れる。

また、論文中ではダウンフォースの前後のバランスとしてFront Balance (FB) というパラメータが導入されていて、Figure 16からはFBの値も距離によって大きく変わることがわかる。 FBは距離が縮まるにつれて、一度上がってまた下がるといった複雑な動きをしている。 FBはおそらく車両の操縦特性に効いてくることが予想され、車両の操縦特性は(ドライバーへの負荷を抑えるうえで)なるべく一定に保ちたいところを、こういった車両バランスの変化が起こるのは設計側としては好ましくないだろう。

ちなみTable 6で示されているように、先行車の後流に入ることで必要ワット数としては減少する傾向にある。 しかしこれまで見てきたように、後流の影響でダウンフォースがなくなり、すると車体のグリップやコントロールが効かなくなってしまう。 Researchat.fmエピソード93のShow notesにあるホンダの記事で「高速走行時の空気の力でクルマが浮いてしまい、クルマがふらつく」、そして「F1ではダウンフォースが速さに直結します」とあるように、必要パワーが節約できることよりもダウンフォースがきちんと出ることのほうが大事、というスタンスである。

おわりに

今回のシミュレーション結果によれば、2台が縦に並んで走行するケースでは、追走車は空力的に大きな悪影響、すなわちダウンフォースの低下に見舞われることになってしまう。 ダウンフォース発生源が後流によって空力的な影響を受けるさいには、以下のような特性が明らかになった:

  • Front Wingは先行車に近づいた場合のみ悪影響を受ける
  • Rear Wingは先行車から遠い位置にあっても悪影響を受ける
  • Diffuser3はもっとも悪影響を受ける(その度合いは先行車との位置による)

2017年型マシンでこの結果ということで、そこから影響を小さくする向きの変更という2022年のレギュレーション改定は妥当なものでありそうだ。

そして結論の最終パラグラフにあるように、このシミュレーション結果はまだ実験による妥当性確認がなされていないから、そのたしかめ作業は今後の研究です、という但し書きで本論文は結ばれている。 最高のアウトカムはCFDと実験を組み合わせることによって得られる、というのは前回のサイクリストの論文(脚注1)にあった言葉だけど、ここでもやはりシミュレーションの自立は課題といえそうだ。 前述のホンダの記事では以下のようにも書かれていて、重要な示唆を与えてくれる:

いいえ、いまでも風洞テストが重要なことに変わりはありません。風洞のほうがより正確に空力性能を把握できるんです。シミュレーションは現物がないときにおおまかな方向性を判断するのに生きてくる手段ですから。

――Honda | エンジニアトーク | 空力

しかし現物の車両があったとしても、それを複数台用意するのはそれなりに大変なことだろうと推察する(風洞にも入らないかもしれないしね)。その点で仮想空間上で車両をぱっと2台用意し、その空力的な影響を大雑把にでも把握できるというのは、それは実験にはないシミュレーションならではの強みであるといえるだろう。■


  1. Cyclist supported by NSE | 雛形書庫

  2. あるいは、同じくFormula1-Dataによるクラッシュの考察記事も参考になる。いわく「マックスはダニエルをブロックするためにラインを変更した。ダニエルに為す術はなかった。マックスの動きによってダニエルのダウンフォースは失われており、ブレーキが機能しない状態になっていたはずだ」ということで、2台の車両の位置関係は想像で補いつつも、先行車に続く後続車はどうやら空力的にかなり危険な状況にあるようだ。

  3. Figure 8との対応付けとして、おそらくUnderbodyか、それに類するものを指すと思われる