はじめに
前回記事の続き、第4週目。前回記事はこちら:
KYOCERA TECHNOLOGY COLLEGE 8月の講師は理化学研究所 計算科学研究センター長の松岡聡先生で、スーパーコンピューター「富岳」に関する授業。4回目となる2020/08/28放送回は先生からのレクチャーはなく、参加した学生からの質問に答える内容となっている。
以降は、この放送回を聴いて考えた気ままなおさらい。
コンピューターとAIの違い
一つ目の質問は「コンピューターとAIの違いとは何か?」というもの。ここでコンピューターと言っているのは何かしらのシミュレーターのことを指していると思うのだけど、そう捉えて考えるとコンピューターもAIも、何らかの問いに対して答えを与えてくれるものであるといえそうだ。では両者の違いはなんだろうか?
科学技術計算に用いられるシミュレーションでは、まず現実世界のモデル化、別の言葉でいえば定式化が行われる。「富岳」の前世代である「京」のアプリケーション紹介ページ *1 にあるように、ここではまず「知りたい現象について、式をたてる」ことをやる。例えば先日から話題になっているウイルス飛沫感染予測シミュレーションでは空気の動きがシミュレートされているけれど、空気や水といった流体の運動を支配するのはナビエ・ストークス方程式 *2 である(ことがすでにわかっているので、幸いにしてあなたは式をたてる必要はない)。式の呼称にあるようにナビエ・ストークス方程式はナビエとストークスという2人の研究者の提案によるものであり、すなわち人の理解に基づいて現象が記述され、それに則ってシミュレーションが実行される。
対してAIはどうかというと、たとえばAIで一般的に使われている深層学習でよく言われるのが、「答えは得られるけれども、なんでそうなったのかがわからない」。言い換えれば、解に辿り着く過程を人が理解できない・説明できないのである。
ただし、ディープラーニングは非常に強力な一方、モデルがブラックボックスになってしまうという問題点があります。つまり、AIの予測結果がどのような計算過程を経て得られたものなのかわからないため、精度が高かったとしても、その予測の根拠がわからなくなってしまうのです。
たとえば上の引用記事に見られるように、最近では判断材料を説明できるようにするAIの研究も進められているけれども、まだ広く普及しているわけではない(はず)。つまり、人の理解に基づかない現象の記述がなされるのがAIと言えるだろう。
番組ではコンピューターを仮想空間で分析・設計する話題が例に挙げられていたけれど、もしこれをAIでやって、なんでそのつくりになっているかがわからないコンピューターが出来上がり、それをちゃんと説得力をもって売れますかというと、そこに少なからず抵抗感を覚える人もいるだろう(逆に、結果さえ良ければ何ら問題ないという人もいるだろう)。
一方で、AIの適用例として挙げられていたプログラムの書き換えは、過程としての書き換わったソースコードやアルゴリズム、そしてバグが無いかどうかの実行結果がともに検証可能な形で残るので、AIの適用先としては効果的だなと感じる。
コンピューターと人間が連携する理想の社会
二つ目の質問は「コンピューターの発達で人間の仕事がなくなるのではと言われているが、コンピューター開発者が考えるコンピューターと人間のバランス、理想の社会とは?」というもの。コンピューターと人間がより良い関係を築くにはどうすれば良いだろうか?
番組で言われていたのが、「コンピューターが人間を超えることは、ある分野ではできても、別のある分野では極端に難しい」。たとえばロボットでいえば、工業用ロボットは十分に普及していても、介護用ロボットはまだ難しい。そうしたコンピューターで置き換えられないところは人間が担当し、そうではない人間が苦手な部分はコンピューターが代わりにやる、その連携をうまく取るシステムの設計が大切という話だった。
コンピューターが置き換えられない仕事として、番組で挙がった介護のような身体性が要求されるタスクもそうだけど、あとは問いを作るのは人間なんだろうなあ、という思いがある。コンピューターは答えは出せても問いは作れない、その答えの質は、問いを作る人間側に委ねられている。すなわち "問いの質の上限が答えの質の上限" ということ。
今週のTAKRAM RADIOを聴いたらつぶやきが紹介されててうれしい…どうもありがとうございます☺️
— 雛形 (hina) (@hinahypersonica) 2020年8月29日
"問いの質の上限が答えの質の上限" は良い箴言https://t.co/0ee3Q5EMaC
上のツイートをしたときに考えていたのが森博嗣の小説で、将来はAIもなんらか問えるようになるのかもしれないけれど、その過渡期にあっては問いを作る能力が依然として求められるのではないかなと感じている。
犀川は、自分の授業でも試験は一切しない。問題を解くことがその人間の能力ではない。人間の本当の能力とは、問題を作ること。何が問題なのかを発見することだ。したがって、試験で問題を出すという行為は、解答者を試すものではない。試験で問われているのは、問題提出者の方である。どれだけの人間が、そのことに気がついているだろう。
あとはシミュレーションをやる立場から言うと、コンピューターによるシミュレーションだけじゃなくて、たまには形而下の世界、現実も見ましょうねというのが個人的な思いとしてある。つまるところシミュレーションも現実世界に立脚しているので、その正しさとか有効性は現実に即して考えないと意味をなしてこない。
本当はなんでもバーチャルな実験室でこなしていければ良かったのだけれども、なかなかそうはいかなくて、仮想空間と現実のバランスもまた理想の社会を考えるうえでは避けては通れないなと思っている。
おわりに
「富岳」がこのたび成し遂げた四冠は本当に素晴らしいものだと思うし、そこに興味をもってくれた人の助けになれば良いなと思って(とはいえ、あまり深刻になりすぎずに)、これまで4回にわたって気ままに書いてきた。あとは落ち穂拾いでちょっとしたネタをもう少し書くかもだけど、技術的な参考文献は各記事で可能な限り脚注に残すようにしたので、興味があればそちらも参照してほしい。
あと、界隈を少しうろついていて見つけたのが、つい先日に「富岳」に関連したHPC (High Performance Computing) フォーラムが開催されていたらしかった。僕はすっかり忘れていたので参加しそびれたのだけれど、講演資料は以下のサイトで後日公開予定とのこと。松岡先生も講演されていたようなので、講演資料の掲載を楽しみに待ちたい。■