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mochikoAsTech『技術をつたえるテクニック』を読んだ

はじめに

副題には「分かりやすい書き方・話し方」とあり、書き方にかんしては以前に何冊か読んでいたし、また話し方についてもプレゼン関連の本をいくつかあたっていたから、本書を急いで手に入れるということはしなかった。しかし実際に読んでみると、本書がカバーしている "分かりやすさ" は僕の持っていた意識とは少し異なっていることがわかった。

 

僕はおもにアカデミアにおける分かりやすい書き方や話し方、それらは論文執筆や学会発表のお作法であるけれど、そういったものをこれまで意識してきた。一方で本書はもっと広い意味での分かりやすさを取り扱っていて、そこには読者層を想定し、また読み手の準備をうかがう姿勢があり、そして登壇では "話し" をどうやって分かりやすくするかという視点があった。そうしたものは僕に新たな気付きを与えてくれたし、かつ分かりやすくつたえるための有効なテクニックとして、心に留めておきたいなと思わせてくれるものだった。

 

 

 

読者層の想定/読み手の準備をうかがう姿勢

第1章では分かりやすい書き方を取り扱っていて、そこでまず出てくるのが「読者層をはっきりさせよう (p. 12)」ということ。その詳細は本書に譲るとして、節の冒頭にある「万人に最適な説明はありません。つたえる相手が変われば最適なつたえ方も変わります (p. 12)」、言い換えれば「最適な伝え方は相手次第で選ばれるべきものである」という概念は、研究におけるジャーナルや学会のように受け手がすでに絞られている環境下ではときおり忘れがちなように思う。

 

続く「なんで? のコップが準備できてから説明しよう (p. 16)」では、読み手の準備をうかがう姿勢の大事さが説かれている。「一度読者を転ばせてから『つまづかない歩き方』や『転んだ後の立ち上がり方』を解説すれば、実感を伴うので理解がしやすくなります (p. 17)」とあり、しかしこれも研究発表の領域ではなかなか気づきにくい。それは紙幅や時間が限られたなかでの論理の首尾一貫性、そして簡潔さを求められているからであって、そこでの解への道のりは、ともすれば舗装された・転びようのない一本道になりがちである。

 

こうした意識の差はその媒体、ジャーナルや学会と、技術書や勉強会の性質の違いに由来するものであって、どちらが良い悪いというのではない。上で挙げている点について、論文執筆や学会発表で努めて意識しましょうと主張するものでもない。ただ研究に携わる人であっても、ジャーナルや学会を離れた場所では普段と異なる性質の分かりやすさが要求される、というのは覚えていて損はないだろうし、そして後者で使えるテクニックが本書で丁寧に示されているのであれば、それは活用してしかるべきだろう、ということ。

 

まあ実際には、技術書や勉強会まではいかないにしても、受け手を想定すべき場面はこの界隈にも存在している。例えばキャンパスの一般公開、広義にはアウトリーチ活動 *1 と呼ばれるものがそうで、そうした取り組みには多様なバックグラウンドや知識レベルを持った人が来てくれる。理想をいえばそこで受け手に応じた説明ができると良いし(できているとは言わない)、さらに受け手の準備次第では、一度転ばせて理解を促すやりかたもあって良い。そうすることで、たとえ受け手は完全に無知で、しかし高度な知性を持つ *2 としても、その理解においては "腑に落ちる" 感覚を持ってくれることと思っている。そうした場面では本書のテクニックは役に立つだろう。

 

あるいは最近流行りの異分野融合という単語のもとでは、相手の研究者と世界観をすり合わせていくうえで説明の仕方にはやはり工夫が必要になる。もしくは研究会で話題提供してくださいといわれたとき、そこでは学会よりはもうちょっとフランクにプレゼンができるはずだから、聞き手を一度転ばせてみるのもありだろうか。こうやって掘り下げて考えてみると、本書が指す広い意味での分かりやすさは研究をする人も含めて、誰もが知っていて役立つことだと思う。

 

 

"話し" をどうやって分かりやすくするかという視点

そして第2章では分かりやすいつたえ方を取り扱っていて、ここでは"話し" をどうやって分かりやすくするかについて述べられている。この "話し" を分かりやすくするという視点を意識するのは久しぶりで、というのもここしばらくの発表案件では、登壇での投影資料のほうに分かりやすさの荷を背負わせることで、しゃべりのウェイトを下げるように心がけていたからだった。そうした態度はプレゼンのスライド関連の本、例えば『研究発表のためのスライドデザイン (ブルーバックス)』などを読むうちに、聞き手がスライドだけで内容を理解できるようにと身についたものであった。とりわけ英語での講演になると、下手な英語は聞き取りづらく伝わらないだろうからと、スライドにほぼすべてのコンテンツを担わせるようにしたおかげで、その傾向はさらに助長されていた。

 

そんな感じで話しに対する意識は低かったんだけど、でもスライドだけで事足りるのであれば登壇する意味がなく、せっかく登壇するんだったらうまく喋れたいということ、それに学会での一方向的な演説と違って、勉強会や研修ではもう少し双方向的になるだろうから、そこではしゃべりも絡めてもうちょっと上手くできるようになりたいねと、この章を読んで思えてきた。登壇をうまくやるためには絶対的な練習量が必要だというのは本書で再確認できて、しゃべりの練習もきちんと時間を取らないといけないなという反省、そして定量的にもそのくらいの時間と工数(詳細は本書を参照)がやっぱり必要だよねという腹落ちがある。

 

 

良い聞き手であるための心がけ

第3章には良い聞き手であるための心がけが簡潔に記されている。講演後に質問したり、質問が来たりするやつはよくあるパターンだけど、今度からは率先して質問の口火を切りつつもしっぱいねこを生んでいけたらと思う。そう、じつは本書の参考文献に挙げられている本については僕もすでに読んでいたのだけれど、しかし本書がそうした既存の本と少し違っているところは、しっぱいねこの登場にみられるような文章のやさしさ、やわらかさにある。専門外だから詳しくは触れないけど、表紙や中身のデザイン的にも親しみやすいものになっている。

 

 

おわりに:「知らないけど、興味はあります」

本書から思い出されたこととして、一般公開なんかをやっていると、「知らないけど、興味はあります」と言って来てくれる人がときどきいる。これまではあまり気に留めていなくて、興味を持ってくれて嬉しいな、くらいにしか思ってなかったんだけど、でも本書第2章の「聞き手は恥を恐れている (p. 37)」という節を読んで少し考えが変わった。そう言って来てくれる人は、まあ軽い気持ちで来ている場合もあるんだろうけれど、自分の知識の無さに不安を感じながら、それでも勇気を出して来てくれているのだと思う。だから僕らとしてはそんな初心者の勇気に賛辞を送りつつ、安心感を持ってもらえるような説明の仕方を心がけないとなと思う。良い話になった。■