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『悲観する力』――気分によらない悲観主義

フランスの哲学者アランはその著書『幸福論』において、「悲観主義は気分によるもの」と説いた。その悲観主義とは、本書にある言葉でいえば「単なる心配や諦め」、それらは漠然と心に浮かんできてしまうものたちであって、そうしたものに支配されている様子を指しているのだろう。しかし本書のいう悲観はそうではない。本書で示される悲観とは、「疑う」そして「余裕を見る」ことに基づいた、未知の物事に対するきわめて冷静な態度である。

 

 

楽観と悲観

悲観について考えるまえに、まず楽観とはどういう状態かが定義されている。

 

本書における楽観の定義とは、「こうすれば、ああなる」を盲信すること、あるいは「AならばBである」と決めつけること。決めつけることでそれが絶対になって、それ以上は考える余地もなくなるから、楽観とは思考が停止した状態とも言い換えられる。そして悲観とは楽観と逆の状態、すなわち「Aであっても必ずしもBにはならない」と考えること。悲観という言葉から一般に想像されるであろう、「単なる心配や諦め」とは性質の異なるものであることに注意されたい。

 

また、「『楽観』と『悲観』のどちらが良いのか、いずれが正しいのか、ということではない。 (p. 12)」と繰り返し強調されている点にも触れておきたい。本書では楽観を自動車のアクセル、悲観をブレーキにたとえて説明していて、アクセルなくして車が前に進まないように、楽観が前に進むための原動力になることは否定していない。しかし楽観とともに悲観がセットになることで、人間はより効率良く前に進むことができるようになるのである。「ブレーキのない車よりも、ブレーキがある車の方が、コースを速く走ることが出来るのと同じだ (p. 32)」。

 

 

もうちょっと考えよう

そして、「AならばBである」と決めつけて思考停止=楽観しているところはありませんか、もう少し考えてみませんか、と説くのが本書で、そこでは悲観の手法が8つ紹介されている。それらの詳細は本書を読んでいただくとして、そのエッセンスは「疑う」と「余裕を見る」の2点に集約されている。これらをせずに普段やっていることはないだろうか? 自らが持っている常識はだいたいが楽観であり、これまでの経験に基づいた反射的な対応もまた楽観である。そうではなくて「考え続ける人間になろう (p. 174)」、この「もうちょっと考えよう」というのは、森博嗣の書籍に通底する思想であるように思う。

 

 

具体的なヒント

では「疑う」「余裕を見る」の2点から具体的にどうするか、あるいは悲観の8つの手法からさらに具象度を上げたヒントとして、本書では3つの技術が提供されている。それらはフェールセーフ安全係数、そして時間的余裕である。

 

フェールセーフは工学の考え方だ。信号を例にとれば、日本だと交通信号は青・黄・赤の3灯だけど、鉄道も含めて世の中の信号機はみな2灯以上である。「なぜ1灯の信号機が存在しないのか?」という例題を通して、フェールセーフの考え方が「安全側」の概念とともに説明されている。安全係数も工学の設計思想のひとつであって、強度設計であれば、本来想定される荷重のだいたい2割増くらいまで耐えられるようにしておく。このようにマージンを持った設計は今も昔も工学の "常識" であるけれど、過去にこの常識を疑い、航空機において千篇一律的だった安全係数を合理的に改めたのが「零戦」の設計者・堀越二郎であった。これはまた別の話。


そして、「最も汎用性のある対処は『時間的余裕を見る』という方法である (p. 142)」。著者自身の中学受験のエピソードとして、受験会場に2時間近くまえに到着した話が紹介されている。その徹底した前倒しの姿勢は今も健在であり、いわく、

今、この本を書いているのは、四月の初旬であり、本が発行されるのは、九ヶ月後の予定である。これでも僕にしてみればぎりぎりの仕事であり、多くの場合、もっと早めに執筆を終えている。(p. 57)

とのこと。また、「急がば回れ」という教訓とともに出てくる模型製作のプロとアマチュアの違いは、僕のような模型製作をやらない人間にとっても示唆に富むものであった。

 

 

もっと具体的なヒント:悲観の練習

さらに、もっと突っ込んだ悲観の練習方法として、考えながらメモをとることが勧められている。著者自身の手法ではない、とことわりつつ、メモのとり方と考え方の具体的な手順が述べられているのだけれど、これは世にいうリスクマネジメントに近い。起こって欲しくないことから目を逸らすのではなく、「真正面から『悲観』する (p. 221)」ことで十分に考えて、何かしらの対処法を思いつく。それによって発生確率が下げられるものもあれば、そうでないものだっていくらでもある。それでも考えたことの価値は減じないだろう、「やれることはやった、という自信 (p. 221)」につながる。ここではじめて "天命を待つ" 楽観の境地に至るのである。リスクマネジメントはプロジェクト管理に用いられる手法だけど、プロジェクトに限らず、日常でもこうした視点を持つことはきっと役立つ。

 

 

おわりに

本書のいう悲観とは、単なる心配や諦めではなくもっと有益なもの、楽観との両輪でより効率良く前に進むことができるようになるものである。「疑い」、「余裕を見て」、そしてもうちょっと考えることは、あなたにとって気分によらない悲観をもたらしてくれることだろう。■

 

悲観する力 (幻冬舎新書)