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yatteiki.fm 第58回『最強のwikiとは【提供:Scrapbox】』を聴いた

例によってやっていき手のラジオを聴いたので、その感想。

 

yatteiki.fm

 

まとめ

  • wikiの多様性と注がれる情熱がわかった
  • Scrapbox書いてて楽しい
  • 知識を共有する活動をやっていく

 

僕はwiki界隈の事情はほとんど知らなくて、ConfluenceもQiita:Teamも使ったためしがなく、また自分でwikiサーバーを立てたこともないんだけど、しかしwikiが発するオーラ、知識が体系化されて並んでいる様子には思わず惹かれるものがある。今回の放送にインスパイアされて少し調べてみたら、さきに挙げた2つのみならず、世の中こんなに多種多様なwikiサービスやソフトがあるとは知らなくて、それがわかったのはすごく良い学びだった。しかも法人が提供するものだけでなく、個人開発でwikiを作る活動が存在すること、そしてそれがパーソナリティの二人にとどまらず、Show Notesの天下wiki武道会にみられるように多くのエンジニアが情熱を注いでやっていっている、それを知ったことも今回の学びのひとつだった。

 

翻ってScrapbox、こちらは今年の夏にアカウントを取って放置していたものを、秋になって『知的生活の設計』を読み、またとあるPodcastで度々話題にあがっているのを聴き、そうしたものに触発されて本格的に使い始めた。第58回ページにある公式の説明によればScrapboxは "知識共有ノート" とのこと、おそらく複数人での編集を想定しているんだろうけれど、僕としては個人で使っていて、古き良き情報カードをデジタルで復興しようとする試みの最中にいる。Scrapboxのホーム画面はwikiというよりかは、まるで情報カードがずらっと並んでいるよう、なんかそういう感じがしませんか?

 

アナログの情報カードって数年前にやってみてたんだけど(今調べたら4年前だった)、そのときは数十枚作ったところで挫折してしまっていた。挫折の理由はカードへの手書きが手間だということ、そして検索用のメタ情報の書き込みも手書きだとやっぱり手間だということで、この手の情報管理は自分には合わないのかなと思っていた。しかしデジタルになると話は別で、Scrapboxでは本文もメタ情報も書き込みと書き直しが容易で、しかもカードにあった紙幅の制約もなくていくらでも書き込むことができる。ランダムにページを持ってくる機能も、紙のカードをシャッフルするような感覚で良さがある。

 

書き直しが容易で流動的であることはScrapboxのひとつの特徴であるように思う。Podcastで述べられていたのは、初心者にとってwikiにはハードルの高さがあって、新しいページを作りづらいしタイトルも決めにくいということ。wikiっていうと整然とした知識のデータベース(しかも大伽藍級)という印象が強くて、それはウィキペディアを見ればわかるように、どこか静的かつ大規模な性質を帯びがちである。一度作ったら動かせない、あるいは自らの知見が大伽藍の一部になりうるものかどうか、さきの初心者にとってのハードルの高さというのは、そうした思い込みや逡巡に由来するものではないかと考えている。

 

その点でいうとScrapboxが持っているリンクの作りやすさとか、リンクの名前を簡単に変えられたり、ノート同士が簡単にマージできたりすることは、ページ作成の心理的ハードルを下げてくれている。玄人なら一発で線を引けるけれども、そうでない初心者であっても、何度も線を引き直していいんだよというやさしさを感じる。Scrapbox以外のwikiをまともに運用したことがないので、他のwikiでも実はそうしたやさしさはあるのかもしれないけど。

 

最強のwikiとは、という問いかけが放送回のタイトルにあって、wikiの基本的機能としては知識を整理して保存する、というのがまずは期待されるんだろうけれど、知的生産的な観点から欲を言えば、複数の知識を相互作用させて何か新しいものを生み出すための仕組みがあるとうれしい。Scrapboxではリンクの作りやすさはもとより、Scrapbox独自の仕様として紹介されている双方向リンクとヘッドワードビューティーは、馴染みのない知識のあいだに新しい繋がりを生み出してくれそうでわくわくする。ノートをランダムに表示させてリンクを眺め、本文をあれこれと編集していく、そうやって自分の知識を整理することそれ自体に面白さを見出すことができていて、書いていて楽しいというのはツールとしてとても良いことだと思う。

 

wikiを作って知識を共有するのはいい、じゃあそれからどうするのか、というそもそもの問いが残るかもしれない。知識は主観的なものだと言う人たちもいて、暗黙知という言葉があるように、結局それが真実なのかもしれない。しかしたとえそうであったとしても、自然言語であれプログラミング言語であれ、言葉を通して世界に触れてきたひとりとして、知識を言葉に落とし込んでリンクで繋ぎ、共有する活動をやっていきたい。そうやって続けた先にある知見が、将来現れるであろう(現れて欲しい)最強のwikiにおいて、新しい1ページを作るときの助けになってくれると信じている。