雛形書庫

An Unmoving Arch-Archive

『知的生活の設計』――興味で築く大伽藍

はじめに

副題には「『10年後の自分』を支える83の戦略」とあり、同じ著者による前著『ライフハック大全』がいわば "戦術" であったならば、本書はそうした戦術を束ねてひとつの方向性へと向かわせる "戦略" である。著者は気候変動を専門とする研究者とのこと、知的生活の実現に向けてきわめて定量的にロジックが展開されていく様子には共感があり納得がある。カバーする領域は書籍、手帳、情報カードといった物理的メディアから、ウェブサービスなどのデジタルツール、そしてマインドセットまで幅広く、情報の収集・整理と文学に対する著者の見識が窺える。ライフハックに関して著者がこれまでになしてきた活動は、10年という長い期間を読者にとって想像可能なものとし、そして同時に読者の知的生活を後押ししてくれる。そんな本書は、「『自分自身の興味や発見を積み上げることでやがて未来がひらけるだろう』という確信に向けたマニフェスト (p. 004)」でもある。

 

 

本書の設計

物理的書籍で全272ページ、そのうち「はじめに」と第1章は著者のウェブサイトで無料公開*1されていて、本書がどのようなテーマについて取り扱ったものかを確認することができる。その第1章にある「知的生活を『設計』するためのフレームワーク」という節では、知的生活を設計するための5つのポイントとして、次の5項目が挙げられている。

 

  1. 自分の「積み上げ」を設計する
  2. パーソナルスペースを設計する
  3. 発信の場所を設計する
  4. 知的ファイナンスを設計する
  5. 小さなライフワークを作る

(p. 026-028)

 

あとに続く第2章以降はこれら5項目のブレークダウンであり、それらは各種ツールの使い方、効率を上げるためのテクニック、あるいはマインドセットの話であったりする。話題のいくつかは、ともすれば前著で取り上げられていたライフハック、小さなワザと変わらないのでは? と思うふしもあったが、しかしよく読んでみると、それらがいずれも前述の5項目という方向性を与えられたものであることがわかる。粒度の大きさでいえば、小さなものは前著のライフハックレベル(ただしそれらはほぼ初出であり、前著の焼き直しではないことはここに強調しておく)、大きなもので10年、もしくはそれ以上の年月をかけて自分の書斎を持つ話まで多岐に渡っている。各種ウェブサービスについては、前著の出版から1年を経てアップデートされた最新の界隈の様子、noteやScrapboxやpixivFANBOXといったサービスが前述の方向性の下で言及されている。

 

 

書斎の設計

上で少し触れた「自分の書斎を持つ」話題は第3章の内容で、ここではいかにして自分のパーソナルスペースを作り上げていくかが述べられる。本書でも参考文献として挙げられている渡部昇一の『知的生活の方法』では、第4章にある「書斎の構想」という節ですごい書斎の図がいきなり出てきて思わず辟易してしまうけれども、本書では「むしろ本棚一つ、小さな机一つから成長させて (p. 074)」いきましょうとあってやさしいし、かつそれらが具体的な数字を伴って出てくるところが良い。

 

本棚であれば、イケアの本棚は奥行きいくら幅いくらであって、高さはいくらだけどオプションで変えられる、机はMICKE(ミッケ)であれば奥行きがこれこれ、対してMALM(マルム)であればこれこれ、といった感じで、こうしたフットプリントが体系的にまとめられているのは、実際の書斎づくりを考える上でとても有用である。本棚に置いておく本のほか、ある割合で紙の本を裁断・スキャンしてPDFで保存するとすれば、最終的には紙の冊数がどれだけ、PDFのファイルサイズがどれだけになるから、そのためには本棚の容積とストレージの容量がこれだけ必要、という話が、すべて数字を伴って出てくる。僕の知る限りでは、これだけロジカルにはじき出された値をこれまで見たことがなかったから、たいへん参考になった。もちろん自分でも計算できなくはない数字なのだけれど、それでも本をスキャンしたPDFのファイルサイズはページ数によってまちまちだし、さらに電子化の解像度によっても変わってくるし、そこで実績のある値を提示できているのは著者ならではといえる。

 

本書が数多くの文学作品、それに評論からの引用に彩られていることからもわかるように、著者は言葉の人であり、書籍や文献といった文字媒体への比重が大きいことは確かである。しかし音楽や映画に触れる人であればCDやDVDを集め、工作する人であれば材料や工具を集めるように、どのような知的生活であっても物理的あるいは電子的なスペースを必要とすることに変わりはない。その意味で自分の書斎を持つ話はいかなる種類の知的生活にとっても有益であり、そして「書斎に置かれているのは、あなたが出会って選び取った、世界にほかにない検索不能な情報の集合体 (p. 073)」なのであって、こうしたものたちがあなたの個性を生み出す源泉になってくれる。

 

 

人生の設計

これもまた本書の特徴のひとつなのだけれど、第1章の終わりで「本書では『長い目で』あるいは『結果的に』という言葉がここまでも、そしてこれ以降も数多く使われます (p. 029)」とあるように、短期的なリターンではなく、長期的な豊かさを指向したものになっている。長期的というのは第7章にあるように10年単位での話であり、第7章ではおもにマインドセットの話が中心に述べられているのだけれど、はじめにある「1年、3年、5年の知的生活の目標を設計する」という節がとりわけ良い。

 

いきなり10年後を考えましょうといわれても、何から手を付けて良いものか、あるいはその過程に何が待っているのかわからず、思わず尻込みしてしまうかもしれない。しかしそこは10年の歳月をかけてライフハックの総まとめとなる本を上梓するに至った著者であり、おそらく著者自身の実体験であろう、最初の1年、2~3年後、4~5年後のそれぞれのあり方が紹介されている。最初の1年は模索の段階にいるのがむしろ当たり前、2~3年で安定感を得てきて、4~5年でようやく自分の専門性と、その周辺領域を見つけて両輪で進んでいく、といった感じで、少しずつだけど着実な積み上げが実を結んでいく様子は、これからの10年を進んでいこうとする読者の背中を押してくれる。

 

もうひとつ興味深いトピックとして、「過去の情報やスキルを応用できる流行のループはおよそ8~10年で繰り返す傾向があります (p. 263)」とあり、その詳細は本書に譲るけれども、情報や技術における温故知新のループ構造が巧みに指摘されている。過去に流行っていたが今では少し下火になってしまったもの、おそらくブログもそのひとつなんだろうけれど、こうして書き続けていくことで、世界のループ構造から手を差し伸べられる僥倖に巡り合えるかもしれない、そうした希望もまた知的生活の習慣を支えてくれるものである。

 

 

知的生活はなんの役に立つのか?

翻ってふたたび第1章、「知的生活はなんの役に立つのか? (p. 018)」という節があり、ここではタイトルにある問いに対する著者なりの回答が示される。ここでの著者の4ページにわたる回答は至極まっとうで結構なものだけれど、しかしこれよりも少し前に書かれている文章、つまるところの理由なんてこれだけで十分だと個人的には思う。

 

 すなわち、知的生活とは、新しい情報との出会いと刺激が単なる消費にとどまらず、新しい知的生産につながっている場合(強調原文ママ)だと考えるのです。

 そこには日常をより深く楽しむヒントがあります。知的刺激を仕事に役立てるための指針があります。ありきたりの情報に触れてありきたりの結論しか出せない状態に甘んじるのではなく、自分だけが感じた体験を世界に発信する興奮があります。

 どこにでもある情報との触れあいを、あなた自身のオリジナルな体験としてスケールアップさせるもの。それが知的生活なのです。 (p. 013)

 

ようは楽しいからやっているのであり、世の中には「自分だけが感じた体験を世界に発信する興奮」を感じ、「あなた自身のオリジナルな体験としてスケールアップさせる」ことを楽しいと思う人たちがいる。単に「面白かった」と言うだけで終わらせない、そこに自分なりの経験と考えを付加し、そうして自分だけの解釈や意思の発露を持つ、それがいかに愉しいかということである。

 

それは、「それまで見えていなかったつながり (p. 014)」、「あなたにしかできない情報のまとめ方 (p. 019)」を見出していくということでもある。言い換えればそれこそが研究という行為でもある。その規模の大小は問わず、たとえ個人の小さな取り組みであっても研究は面白いものだ。

 

面白ければ良いんだ。面白ければ、無駄遣いではない。子供の砂遊びと同じだよ。面白くなかったら、誰が研究なんてするもんか。

――森博嗣冷たい密室と博士たち

 

知的生活とはライフワークであり、しかしそれが生業でないのなら功利的な側面を抜きにして、楽しいからやる、それだけでいいんじゃないかと思う。ひょっとすればそれが巡り巡って、サイドハッスルとして自分に返ってくるかもしれない。自らの知的好奇心や情熱、そしてそこからなされた積み上げこそが、今の自分を支えそして10年後の未来を切り拓いてくれる、そんなふうでありたいし、そう信じて一歩ずつ進んでいく勇気を本書は与えてくれる。■

 

知的生活の設計―――「10年後の自分」を支える83の戦略